今作の開発とゲームデザインを担当した、
(株)シンク・アンド・フィールの
山木さんと藤本さんへのインタビュー。第2回です。
――
それでは、メインプランナーの藤本さんの
経歴を伺いたいのですが。
やはり昔から、ゲームの企画を志して
今の仕事に就いたんですか?
藤本
と、言いたいところなのですが……(苦笑)。
――
おっと!?
藤本
いや、単純に、
"モノ"を創る仕事はしたかったんです。
ゲームも含めて、映像とか、
なんでも良かったんですけど。
大学も、映画関連の大学に行ってました。
――
あ、なるほど。
なにがなんでもゲーム業界がいい!
という感じではなかったんですね。
藤本
で、実は高校生のときに
現在のシンク・アンド・フィールの
前身となる会社でアルバイトをしていまして。
――
お。そこでアルバイトをする
きっかけは何だったんですか?
積極的にゲーム会社のアルバイトを
探していたとか?
藤本
いや、確かにゲームは大好きで
よく遊んでいたんですけど……。
今の会社の近くにあるゲームセンターで、
友人がアルバイトをしてたんですよ。
――
はい。
藤本
で、その会社の社長が
このゲームセンターと親交がありまして。
ある日、
「体験会のテストプレイヤーを探しているが
ゲームがうまいやつはいないか?」ということで
その友人から自分に話が来て。
――
ほほう!
もう、地元で名が売れるほどの
スゴ腕だったわけですね。
藤本
ま、最初は体験会なので
遊んで解散、だったんですけど。
後日また連絡があって
「デバッグのアルバイトを探している」と。
で、まあ、「やるか」と。
横山
それは、なんか、
すごいドラマチックだね!(笑)
このサクセスストーリーはすごいよ!
山木
(笑)
藤本
でも、ジャンプアクションゲームの
デバッグをやって、そこは終わったんです。
――
高校時代はそれだけなんですね。
藤本
その後、大学在学中にまた連絡がありまして。
今度は、イベントシーンを作る人間がいないから
手伝ってくれないか、と。
――
それはもう、映画専攻だったから?
藤本
いや、どうも関係なくて、昔のツテだけで(笑)。
それで手伝いだけやって、また学業に。
――
そのままゲーム業界に入り込んでやろうと
思うこともなく、学業に戻ったわけですね。
藤本
そのあと、大学2年のときに
会社でGBA用のストラテジーゲームを作っていて、
今度は「テキストを書いてほしい」という話が
来たんです。
――
ほう。
山木
あ、そのときはもう、映像関係の
勉強をしてるって話を聞いてたんで、
「きっとシナリオも書けるだろう!」と思って(笑)。
一同
(笑)
藤本
で、また会社に来て(笑)。
シナリオを……まあ簡単なものですけど、
書きつつ、デバッグもやったり。
――
だんだん深く関わってきてますね。
藤本
そこからは、まあ、なし崩し的に(笑)。
――
その頃からもうフルタイムで働いてたんですよね。
学校はどうしたんですか?
藤本
行ってはいましたけど、
結局そこで辞めちゃいました。
――
進路を決断したわけですね。
ここまでガッツリ働けるようになったなら、
もう学業に戻る必要はないと?
藤本
ちょうどその頃、分社化するという話だったんで。
新しく会社ができるタイミングで参加できるなら
これはチャンスかな、と思いまして。
あと、学生が勉強としてモノを作るよりも、
仕事で作るほうがやり甲斐もあって
楽しかったんですよね。
――
なるほど。それは確かに。
山木
でも私としては、シンク・アンド・フィールに
社員としてどうか、という話をしたときは、
たぶん断られるだろうと思ってたんですよ。
――
ああ、まあ、映像の学校に
行ってたわけですし……。
山木
絶対にゲーム業界でやっていくんだ!
という感じではなかったですから。
でも、彼は……すごくゲームがうまいんで(笑)。
――
(笑)
声を掛けずにはいられなかったと。
藤本
先ほどのストラテジーゲームの難易度が
上がってしまった理由のひとつですね(笑)。
横山
あ、なるほど(笑)。
――
それから、ゲームプランナーとして
働き始めたわけですね。
藤本
最初はプロトタイプの企画が多くて。
あとPSPのタイトルもやりつつ。
――
で、ゲームデザインとしては、今回の前にやった
『ファイナルファンタジーXII レヴァナント・ウイング』が
初になるんですか?
藤本
いや、あれはゲームデザインと言えるほどは
やってませんので……。
ゼロから作った、ということなら
今回の『ブラッド オブ バハムート』が
初めてになります。
――
なるほど。
横山
いや、初めてでここまでやったっていうのは
スゴイことだよね。
続きます。
明日は、いよいよ『ブラッド オブ バハムート』の
開発について伺っていきます。